ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、僕は普段放射線技師として日々働いています。
正直言って医療業界で働くことはやりがいや達成感以上に、ストレスが多く、やるせなさを感じることが多いです。
この意見については賛否両論あると思いますが、ブログを見てくれる人の中には医療職の方もいれば、そうでない方もいると思いますので、今回のタイトルが共感を呼ぶのか、それとも実態報告になるのかはさておき、一人でも多くの人に医療従事者にも様々な人がいて各々が色々なことを考えながら働いているんだということを知っていただければ、少しは医療従事者への理解促進が図れると思いますので、ただの独り言程度に聞いてもらえれば嬉しいです。
小さい頃に描いた”憧れの医療従事者の姿”
僕は小さい頃から医療従事者として働くことを夢見ていました。理由はいくつかありますが、最も大きかった理由は大好きだった祖父が病気になってしまい苦しむ姿を見て、自分が医者となって治してあげたら喜んでくれるのではないか、と思ったことでした。唯一、人の命を物理的に救うことができて、みんなから感謝され尊敬される素晴らしい職業であるとそう思い、それに伴って”良い人”でなければならないんだと、当時子供だった僕は何の基準もなしに決めた主観だらけの”良い人”になるために努力をしていたように思います。そうやってできた”自分にとって完璧な医療従事者の理想像”はもちろんですが、その想像の世界に存在している人物は、医療従事者や患者とその家族などみんな等しく”完璧な人”でした。どんな時も他人に優しく、自分のことは自分で何でもできる、当たり前にお礼が言えて、話が通じる人。そんな人なかなかいないはずなのに僕の中にいる人はみんな”それら”を持っている。僕の憧れた医療従事者は”優しい世界”に存在していたのです。
【医療従事者の実態】働いて感じた本音
あえて曖昧なテーマを立ててみました。本音の中にはもちろん良い意味のこともあれば良い意味ではないこともあります。それぞれ具体的にどんなことが該当するか独断と偏見でまとめていきたいと思います。
僕が医療従事者になってよかったと言える点
⭐︎困った人の役に立てた実感が得られる
⭐︎命や人生を左右される局面に立ち会えるやりがい
⭐︎知識が常にアップデートされる専門性の高さ
僕が働く病院は急性期医療に該当する病院のため、救急車の受け入れや、重症の病気を持つ患者の検査・治療など緊急性を要する時期の医療を提供しています。急に現れた症状もあれば、事故などによる外傷もあり、多くは突然日常が変化してしまったことに不安を感じたり絶望したりと現状に困り果てた患者やその家族と接することになります。そんな中、僕たち放射線技師の大きな役割というと迅速で正確な検査を行い、医師の診断の助けとなることで病気に見逃しがないように貢献していくことであると思っています。直接患者やその家族と関わる時間は、医師や看護師のように長くはなくとも、検査中の声掛けや素早く検査を終わらせ痛みを感じる時間を短くするなど様々な方法で患者のために行動できる部分は多くあります。その際にたまに言われる”ありがとう”という言葉、これが僕が医療従事者として働く上で最もやりがいを感じる瞬間です。
また、医療業界の面白さの一つに常に知識のアップデートが必要な分野であるということが挙げられます。技術の進歩は目覚ましく、新たな技術や知識が追加されることはそう珍しくありません。新しいものが全ていいというわけではありませんが、医療従事者の多くは患者にとってメリットになるものがあると分かればその勉強を惜しむことはないでしょう。さらにそういった技術が多く開発されることで、できる治療や検査が多くなります。これによって医療従事者の中でも各々の職種の専門性が高くなっていくこと、これもまた自分の仕事にやりがいを感じることができる要因の一つだと思います。
僕にとっては良いとは言えない点
⭐︎過酷な状況でも医療従事者ならやって当たり前という固定観念
⭐︎患者ファーストが美徳であるという風潮
⭐︎チーム医療を謳うが明らかに序列が存在する
先ほどの医療従事者として働く上で良いと思える点とは逆にそうではないと思う点について考えようと思います。僕が勤めている病院は急性期病院でもあり災害拠点病院としての役割も担っています。災害拠点病院ときてもあまりピンとこない方も多くいらっしゃると思うので簡単に説明すると災害発生時に重症患者を率先して受け入れたり、医療救護班を派遣したりと災害時にも医療を提供できる体制が整った病院であるということです。最近ですと能登半島地震でもうちの病院から医療救護班が派遣されましたし、大きな災害の際は他県であっても派遣にいくこともある、そういった制度が整っています。我々医療従事者はどんな時でも患者を救うことに重きを置いて行動するわけですが、災害時などの緊急時においては自分や自分の家族を差し置いて医療の提供を行うことも少なくありません。そんな過酷な状況の中、ましてや災害時という十分な設備や人員も確保できていない状況であっても最大限の医療を提供しようとする我々の気持ちや行動とは裏腹に、時には”お前らの治療が遅くなったせいでしんどい思いをした”や”役に立たない”という趣旨の心無い言葉を投げかけられることも少なくありません。そうです、好き好んで医療従事者になっただけで誰から強制されたわけでもないので、それが嫌なら辞めれば良いんじゃないか?と思う人もいるでしょう。それでは根本的な解決にはならないと僕は思っていて、医療を提供する側も受ける側も一人の人間であるということを忘れて欲しくはないのです。これは僕一個人の願いですが、各々の立場のことは各々にしか分からないからこそ、そこに寄り添い合う気持ちを持ち、双方共に嫌な思いをすることがないように敬意を持てば、医療業界に限らずどんな状況でも人との関係で嫌な思いをすることは無くなると思っています。ただ、勘違いしないで欲しいのは、しんどいのは我慢しろ!、医療従事者に当たるな!といっているわけではないということです。ニュアンスがうまく伝わるかわかりませんが、どちらの立場であったとしても、人の気持ちは無視して自分が良ければ良いんだと自己中心的な考えをしていると正直損しかしないということです。だって嫌なやつに良くしようなんて誰も思わないでしょう?もちろん悪くはしませんが、あくまで最低限必要なことはやって少しでも良くしようとは思わないという話です。医療従事者だって人なんだ、ということを忘れられていると感じる時が特に僕にとっては医療従事者をしていて良いとは言えない点だと言えます。
また、同じ医療従事者同士であっても嫌な気持ちになることは多々あります。チーム医療という言葉はご存知でしょうか?簡単に説明すると、患者を中心として、多様な医療専門職がそれぞれの専門性を発揮しながら連携をとり、質が高く、安心・安全な医療を提供する体制のことです。つまり、職種によってやれることは違えど、全てが同じ”患者により良い医療を”というテーマのもと医療を提供すべきなのですが、ここでも問題点は存在します。それは職種によって見えない序列が存在し、雑に扱われることもあるということです。当たり前ですが、医師がいないと僕たちコメディカル(医師以外の医療従事者)が主体となって医療を提供することはできません。僕らは医師の存在があるからこそ意味をなす職業と言えます。それは十分に理解した上でなお、理不尽と感じる要求や指導を受けることがあることに関しておかしいのではないか?と思うことが多々あるのです。ここからの話は大前提として自分たちがこなす仕事はきちんとこなしているものとしますが、その日の機嫌によって態度が変わる先生や、自分の非は認めずコメディカルのせいにする先生など色々いらっしゃいます。仕事量の多さや人の命を負う責任の重さ、何より仕事に必要な知識を得るための日々の努力など尊敬すべき部分が多いことは事実ですが、人間として何か大切なものを失っている部分があることもまた事実だと思います。このような関係は医師とコメディカルだけに限りません。コメディカル同士やさらには同じ職種同士であっても、自己中心的な発言や行動をとる人は珍しくはないのです。こういった現状に一部の医療従事者は疲弊していると言えます。その理由に看護師の大量離職が挙げられます。仕事に対する責任の重さは違えど、看護師なしでは医療は成り立たないにも関わらず、その有り難みは忘れられてまるで召し使いのように扱う現状があります。僕自身は放射線技師として専門性が特に高い分野で働いているなどの観点から強烈な理不尽を受けることは少ないですが、自分とは違う職種であっても序列が存在し誰かが虐げられる状況があることを疑問に思い、とても悲しくなります。これもまた僕にとっては医療従事者をしていて良いとは言えない点です。
ここまでを振り返って本音を言います
頭おかしい奴多すぎるだろ!!
こら!本音言い過ぎ!!(焦)
口が悪くて申し訳ないですが、結構本音なんです。社会人になるまで関わる人は同じ学校の人ばかりだったので大体同じ学力や同じくらいの思考力を持つ人だったのだと思います。学生時代の当たり前が社会に出ても通用すると心のどこかで思っていたのでしょう。実際は話が通じない人、理由も曖昧なまま人を責め続ける人、言葉遣いもまともにできない人、など本当に色々といらっしゃいます。お互いに性格や考え方が違うのは当たり前で、気持ちいい人間関係を築くためにはその考えを理解する努力や、伝える努力を惜しまないことだと信じて生きてきましたが、自分以外の当たり前は受け付けないし、そもそも考えを巡らせもしないという人が本当に多いと感じます。きっと医療業界だけに限らずどんな業界でも同じようなことは起こっているのだと思いますが、最初の方に述べた”憧れの医療従事者の姿”で出てきた人々とはかけ離れた存在の多さに、やるせなさを感じたり、ストレスを感じるのです。
あくまで今話している人は多いとは言っても絶対値としては大したものではないのですが、割合が多いと感じるという意味です。ストレスがない仕事はないのは当たり前だとして、どうして自分のことばかり考えるの?なぜ自分が良ければそれでいいと思えるの?という思いが消えずしんどくなることがあるのです。だからと言って僕が他人を変えることはできないので、自分が他人にとってそんな理不尽なストレスを生み出す対象とはならないように気をつけるだけなのですが、それすらもういいんじゃないのか?と諦めがよぎるほど悲しい気持ちにさせられる時も多々あります。そんな中でも自分を見失わないように日々頑張っている医療従事者は多くいらっしゃいます。再三言いますがだから偉いんだ!、という話ではないです。いち医療従事者として考えていることを愚痴のように話しているくらいに捉えてください。
それでも医療従事者を続ける理由
ストレスややるせなさを感じる瞬間は多いけれど、それでも医療従事者を続けている理由、それは”命”という尊いものを救える現場には僕にとってそれだけ魅力があるということです。
みなさんは命について普段どうお考えですか?抽象的な質問なので色々な答えがあると思いますが、僕は”有限でかけがえのないもの”であると考えます。いつか終わりが来るものだから生きている”今”を大切にするし、いつか別れが来るものだから人との繋がりを愛おしく思うし、持っている時間に限りがあるから何かを成し遂げた時に達成感があるのだと思います。”命”とは終わりがあるがゆえに美しいものだと思うからこそ、その終わり方がその人にとって満足できるものであってほしい、理不尽で奪われる人が少しでも少なくあって欲しいという思いが医療従事者として働いていける原動力なのだと思います。
最後に
綺麗事や愚痴のようなこと、色々言いましたが言いたいことは”みなさん、命は大事にしましょう!人には優しくありましょう!以上です!!(笑)


